安藤尋監督インタビュー(3)


2015年10月6日(火曜)、9日(金曜)、10日(土曜)の3日間開催される「俳優のための実践的なワークショップ」の講師である映画「海を感じる時」の安藤尋監督にインタビューをしてきました。第1弾、第2弾につづき、今回は最終回、第3弾です。ワークショップに参加する方、ぜひ参考にしてみてください。(聞き手:ワークショップ主宰・松枝佳紀)ワークショップの詳細については→安藤尋監督による俳優のための実践的ワークショップ

安藤尋監督インタビュー第3弾<最終回>

聞き手:ワークショップ主宰・松枝佳紀

第1弾→、第2弾→

松枝  安藤さんの作品は女性が中心になることが多いような気がします。

安藤  そうなんです。こないだ僕も思ったんですよね(笑)。たしかに、そうなんですよね、僕の映画は女性主人公の映画ばっかりなんですよ。男性主人公は劇場映画デビュー作の「dead BEAT」と「僕は妹に恋をする」の二つですかね。僕妹も半分は榮倉奈々ちゃんだし。企画から僕が関わっているっていうことで言えば「blue」ぐらいで他の映画はもらった企画なんですけども、どうしてか女性主人公が多くなる。

松枝  それは企画を持ってくるプロデューサーも安藤さんが女性主人公映画が得意だと思っているからなんでしょうね。

安藤  そうなんでしょうね。でも僕も女性主人公のほうがやりやすいですけどね。

松枝  それはなぜなんですか?逆に、男性監督のなかには、「女のことは永遠にわからないから」と女性主人公を撮られない方もいるぐらいじゃないですか。

安藤  男は永遠に女のことがわからないということで言えば、その永遠に分からない女性の方が、僕的にはいろいろ仮託しやすいというのはあるかもしれませんね。僕自身男だから、男は仮説になりづらいんですよね。でも女性は分からないから、逆に虚構を作りやすい・・・のかもしれない。別にプラス面ばかりでなく、人間の醜さだったり、ずるさだったりを仮託しやすい。あと、たぶん、僕は女性の方が、ある意味「弱者」だと思っているんですよね、社会的に。どんなに女性の権利が拡大されようとも。……と言って、フェミニズム的な観点からそう言っているわけじゃないんです。単純に、腕力的な意味から言っても、男に押さえつけられたりしやすいし、レイプの恐怖は女性にしか分からない。絶対的な力で抑えつけられた時に、それを力で跳ね返してやっつけると言うような男性的な物を描くことに、僕自身興味が無いというか、それよりも、その力に押し倒されて屈して行く…虐げられてしまう側を描くことに興味があり、そのときに、女性の立ち位置が、語弊があるかもしれませんが「利用」しやすいということは、たぶんあるのだろうと思います。理不尽なことや、不条理にさらされるのは、やはり女性の方が多い気がするし、そういった負の出来事と共存し、「戦う」術を持っているのも女性な気がするんです。そしてそこに、女性を超えて「人間」としての強さを描ける可能性がある。

松枝  それは女性を巡る、いまの日本の時代状況や社会状況に縛られている話のような気もするんですが。・・・いや、そうでもないのかな。確かに、マッドマックスの最新作「怒りのデスロード」でも、女性は戦士となり強いんですが、結局、妊娠する性であるということが最も強く描かれていますしね。

安藤  そうなんです。最新のマッドマックスでやはりすごいのはWIVS(ワイブス)という妊娠のために囲われる女たちを描いたことです。あれで一気にマッドマックスがフェミニズム映画になった(笑)

松枝  新作の「マッドマックス」においては、もはやマックスの存在自体が添え物ですしね。いなくてもほぼ物語は成立する。しかし、そう考えてみると、押さえつけられる性としての女性が弱者であると言うのは、ぜんぜん過去の物ではなくて、普遍的なことなのかもしれませんね。妊娠すると動けなくなる、動きづらくなり、誰かの助けが必要になるというのは、おそらく、これからも変わらないことでしょうし。

安藤  セックスでリスクを負うのも女性ですし。

松枝  先日、安藤さんと某プロデューサーとご一緒した時に、安藤さんがやりたい作品の企画について話していたじゃないですか。内容をあんまり詳細に言っても良くないと思うのでボカしますが、沖縄と女性の話。あれなんてまさにそうですよね。歴史においては、沖縄自体が押さえつけられる性としての「女性」だったと言えなくもない。その沖縄を舞台に女性が主人公の映画を撮るとなれば、まさに安藤ムービーの真髄のような作品になりそうです。

安藤  そうですね(笑)

松枝  男はどうなんですか?女性を描くとは言っても、男がいらないわけじゃない。

安藤  むしろ逆に必要ですよね。男が居ての女であり、女が居ての男だから。女の悲劇の多くは男によってもたらされるわけだし。僕が描く男性って、何を象徴するかというと「諦め」とか「諦念」なんだと思うんですよね。つまり、男は「なにかを諦める存在」だと思うんです。夢や出世や人生や女をあきらめる。そういう意味では、「押さえつけられる性としての女性」と「諦める性としての男性」が端的に描かれていて、僕の好きな映画をあげると、セルジオ・レオーネ監督の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」なんですよね。

松枝  ああああ、大好きな映画です!

安藤  そこに描かれているのは、流れて行く女とビッチにならざるを得なかった女、裏切らざるを得なくなった女、そして、その女を無理やり強姦するんだけども、それでも手に入れられず、ある力の中で全てを諦めていく孤独な男。まさに僕の理想としての男女の姿が描かれている映画なんです。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は。何度見ても泣いちゃいます。完璧な映画です。

松枝  僕は自分の演技塾をもっているんですが、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はそこでの課題映画です。

安藤  お、それは正しいです。本当に完璧な映画ですからね。そしてロバート・デ・ニーロが素晴らしい。力を持っているんだけども、それを発揮しても、発揮しても、満たされないと言うか、報われないと言うか、で、結局女に裏切られていく男の孤独。そう言う意味では、男性の方が孤独なんですよね。

松枝  そう言って良いかわからないんですが、女性というのは自然界というか地球の側に居る。一方、男性は地球からはみ出している気がします。

安藤  (笑)、そうなんでしょうね。たしかにそう言う感じがする。だから男は力で女を支配しようとしてるんでしょうけどね。そう言った男女差は、芝居においても現れています。男優は芝居を理屈で捉えるが、女優は感情というか、感性というか、肉体で捉える。男は理屈で捉えるから「正しい」と思ったら揺るがなくなる。相手に反応しないナルシスティックな芝居におちいりやすい。一方、女優は、ときどき素人の、芝居はじめたての子なんかに、ものすごく直観的で素晴らしい芝居をする子が居たりする。感性的です。男の子でこういうのはなかなか居ない。どうしても理屈っぽくなる。だから、男の俳優にとって重要なのは、どうやって言葉や理屈を、より感情の方に持っていけるかだと思うんですよね。

松枝  男が理屈っぽいのはもはや仕方がない。だから理屈を考えた後に、いかにそれを捨てられるかが勝負だと思うんですよね。

安藤  そうですね。そう言う意味でも、はじめのほうに言った「受けの芝居」というのが重要になる。一旦考えた理屈は置いておいて、すべてを相手に任せる。相手に集中して、どんだけ受けられるかというのをやってみる。そういう意味で言うと、池松さんなんて本当に良いなと思う。無理して理屈で考えようとしない。もちろん、彼なりのプランはあるんだけれども、あくまで市川さんがどう出てくるかが重要で、それは本番にならないとわからない。だから池松くんにはプランもあるけど、ぶっつけ本番でいいやという度胸もあるし、その時、どう自分が感じるかだと、待つことができる。池松さんは相手が「立て」ばいいんだと良く言います。女優さんが良く見えればいいとか。そこだと思うんですよね。多くのダメな俳優は「俺が」「俺が」となる。そのたびに、僕は、「お前はいいんだ。お前はただ他人の話を聞け」と言うんです。サーブじゃなくてレシーブに集中しろと。

松枝  こないだジョコビッチとマーレーの試合を見ました。ものすごい面白かったです。何が面白いって、互角なんですよね。だから応酬がある。サービスエースで決めちゃう試合じゃなくて、受けて受けて受けて受けて、決めるという。一進一退の試合。緊張感のある試合でした。

安藤  僕もテニスが好きなんですよ。あの「緊張感」というのはすごい。僕が映画に求める会話って、あのテニスの応酬のような「緊張感」のあるものなんですよね。

松枝  たしかに安藤さんの映画には緊張感があります。あ、わかりました。今回のワークショップのテーマはそれで行きましょう。「受けの芝居」ができて「緊張感」をつくることのできる俳優女優を探す。というので、どうでしょうか?(笑)

安藤  いいですね。そうしましょう。具体的に何をやるかについてはもう少し考えさせて下さい。

松枝  はい。それは大丈夫です。いやあ、でも、安藤さんのワークショップが俄然楽しみになってきました。そして良い才能をぜひ発掘したいですね。

安藤  本当です。すごいのに出会いたいですね。

安藤尋監督インタビュー、終わり

ワークショップの詳細については→安藤尋監督による俳優のための実践的ワークショップ