大森立嗣監督インタビュー2014年


このインタビューは2014年7月に行われた「大森立嗣監督による俳優のための実践的ワークショップ」に向けての事前インタビューです。
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松枝「映画には、脚本、美術、照明など色んな要素があります。その中で、大森監督の映画にとって、俳優というのはどれほどの比重があるものなんですか?」

大森「オレは、俳優っていうのは、映画に血を流す人たちだと思っているんですよ。だから、映画が生きるも死ぬも、俳優にかかっているところが、やっぱりあるんですよね」

松枝「大森監督の最初の作品「ゲルマニウムの夜」は、その時点では新人に近い新井浩文さんを主演に使っている。しかし、あの時の新井浩文さんは、無名だろうがなんだろうが、その発する狂気と言おうか、暗いオーラと言おうか、その存在感が半端無い。新井浩文こそが「ゲルマニウムの夜」だという強烈な印象を与える。大森さんの作品は他の作品においてもそうです。有名無名にかかわらず、これだと言うキャスティングをしている印象が僕にはある。いったい、どういうことを眼目にして、大森さんはキャスティングしているんですか?」

大森「昔も今もあんまり変わらないんだけど、その俳優が撮影のロケ地とかに立った姿を想像しますね。想像して、大丈夫だなぁと思うか、駄目だなぁと思うか。その俳優の立ち方とかですね」

松枝「オーディションはするんですか?」

大森「基本、しないですね」

松枝「知っている俳優から選ぶ?」

大森「知らなくてもいいんですけど、やっぱりキャスティングするときにどういう人が頭に浮かんでくるのかですよね。色んな人に出会うためにワークショップやったり、街角で出会うこともあるんですけど、そうやって記憶に残った何人かの中で、自分が本書いているときにどういう人が浮かんでくるのか。わりと自然の流れのなかで考えてますね」

松枝「大森さんは台本を書くときに想定キャストとか考えて書くんですか?」

大森「いや、オレはあんまり考えないですね。それをやってしまうと本が狭まっちゃうんで、そういうことは考えないで書こうと思ってます」

松枝「これまでの作品でどんなふうにキャスティングが決まったのか具体例を聞かせてもらえますか?」

大森「ぼっちゃんっていう低予算の映画を作る時に、全部自分たちでやっていたので、あんまり有名な人をキャスティングしてスケジュールとか、お金のことで不自由になるのが嫌だった。だからまだ名前のない奴でやりたいっていう思いがあって。で、その時に、オレは水澤紳吾っていう俳優を思い浮かばなかったんだけど、(大森)南朋が…彼はプロデューサーをやってくれてたんだけど、水澤どう?って薦めてくれて。で、あぁ、いいじゃんって決まったことがありますね。それと『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』のときは、主演に男の子二人を選んだけれど、高良健吾に最初話を持って行ったときに、ケンタかジュンかまだ決まっていなかった。けれどどっちか決まってないとは言えないから、そこでジュンに決めて」

松枝「高良君にした決めては何だったんですか?」

大森「やっぱり、さっき言っていたような、ケンタとジュンが解体をしているシーンの立ち姿だとかを想像した時に、こいつだったらできるなと思わせてくれたとか。何か確信があってやってるわけじゃないんですよね、、不安定な要素がいっぱいある中でやってるので。まぁそうはいっても技術は最低限あるとして、例えばセリフ覚えてこないと話になんないしね(笑)、あとは俳優としての勇気をもっているかとか。あとは色気がちゃんとあるのか」

松枝「例えば水澤さんの名前が挙がった時に、あぁあいつね、と思い浮かぶわけですよね。つまり、記憶のデータベースに無い人はやっぱり出てこないって訳ですよね」

大森「そう。出てこない」

松枝「オーディションはなんでやらないんですか?」

大森「オーディションというのは、こちらがイメージを固めて、集まってくれた俳優から選ぶものじゃないですか、でも、キャスティングが決まる前までって、すごい緩やかに構えてないと、例えば演じる人が、こちらで固めたイメージと別の方に行った時に対応できない。対応できなかったら、映画が失敗するんで、イメージを固めずに、割とゆっくり広めに大きく構えて、じゃあ、こいつがこうきたからこうしようとか、柔軟に対応しないといけない。例えば主役だと、その人のために映画を作らないといけないんだよね。柔軟にっていうか、頭でっかちに、こう演じてくれなければいけない、みたいなことはやらないですよね。来た人とともに映画をつくっていく、それが運だと思ってやるってことかな」

松枝「他の監督と話していると、俳優ありきで映画の企画が立ち上がることがある。この俳優と映画を作りたいからやるというような企画の立て方がある。大森監督はどうですか?」

大森「そういうこともありますね。あれやりたいなとか、こいつにこういう役をやらせたいというか、まぁそういうのも少しはあるんですけど、ちょっといい思いをさせてあげたいと思うときもあるしね(笑)。映画作るのは楽しいぞってことを味わってほしいていうのはあるね」

松枝「大森さんにとってワークショップの位置づけってどうなんですか?」

大森「昔は大部屋があって、俳優たちの間で、映画にかかわる知恵や技術や想いみたいなのを伝承していく場があった。それが今は各々がバラバラでやっている感じになっている。だから、なかなか若い俳優に映画に関することをちゃんと教えてあげられる機会が少なくなってきてると思うんですよね。それを自分は助監督だったりしたから、俳優たちと会う機会があって教えてもらったりしてたんですけど。まぁそういうオレの見た物や経験からの微々たるものだけれど、俳優たちに伝えられることがあれば伝えられるかな、と思うのと、オレ自身、才能に出会いたいとうのかな、そういうことからワークショップはわりとやりたいと思ってるんですよ」

松枝「大森さんが今回ワークショップに来る俳優に求めるものは何ですか?」

大森「なんだろうなぁ」

松枝「特に無いんですか?」

大森「いや、いっぱいあって一言では言いにくいなぁって。基本的には、モノを作っていくことって、分かんないことに向かっていくことなんですよね。そういうことをちゃんと分かっている人がいたらラッキーだなって思います。やっぱり俳優になりたい人って、基本的には自己顕示欲が強くて、有名になりたいだとか向上心がある人が多くて、それはそれで一つ、大事だとは思うけど、それだけじゃやっぱりなれないんだな。そういうのがあるのと同時に、すごく自分を疑っているところがある必要があるというか、そういうところがないとなって思う。もちろん、全員がそう思って来いっていう訳ではなくて、そういうことをワークショップをやっていっている間に感じてもらって、あとはそれぞれで答えを出してもらうしかないっていうのがあって。今回のワークショップでは、それをやっていって欲しいなと思います」

松枝「大森さんは俳優もたまにやられますが、ご自身が俳優として活躍していく道は考えなかったんですか?」

大森「いや~、すぐ諦めたわ(笑)。諦めたっていうか、そんなに好きじゃなかったんですよね。やっぱりオレは作品に深くか関わりたいなと思ってて。その時に、俳優よりは、やっぱり監督をやりたいなってすごい思っちゃったんだよね。主役やってたらまた考えも違ったかもしれないけど、できるような感じでもなかったし」

松枝「僕は韓流映画がすごく好きで、韓国の俳優もすごく好きなんですが、大森さんはヤン・イクチュンさんとやっていますよね。彼と一緒にやっていて、日本の俳優と何がどう違う、あるいは違わないと思いましたか」

大森「基本的にはそんなに違わないですよ。もし何か違うとしたら、色気をもっているというか、身に付いているものが違うといか。」

松枝「俳優に限らない話だと思うのですが、日本人って、落とし所を探すのがうまいんじゃないかと思っています。だから、わからないですが、演技でも、はまりのいいところにバスっと正解を決めてくるような印象があります。でも正解はしょせん正解というか、正解のつまらなさというのがつきまとっている気がします。一方、韓国人は落とし所関係なく攻めてくる印象があります。周囲の思っている限界を突破してくるというイメージがあるんです。脚本や演技でも。それは幻想ですかね?」

大森「オレはヤン・イクチュンと仲良いけど、韓国で『息もできない』というような映画を撮るのってすごく難しいんだよね。日本でああいう映画を作るのとは意味が違う」

松枝「どういうことですか?」

大森「韓国ではほとんどの監督が国立大学の映画学科を出てたりするんだよね、たしか監督の九割くらいかな。それに、ほとんど自主映画がない。キム・ギドクだってフランス行って映画科通ってから、映画を作ってたりしている。そういう意味では、日本よりも、韓国には、映画を作るために突破しなければいけないものがはっきりある。日本では監督も役者もそこまで覚悟しないでも映画を撮れる。だからほとんどが『おさまった自主映画』をやっている。まぁオレも荒戸さんも作っている映画は自主映画みたいなもんですけど、だけど、オレも荒戸さんも決しておさまろうとはしていない。だいたい、オレは納まった感じで自主映画をやっている奴は腹立つほうだから」

松枝「日本人はやはりおさまることに長けている。映画ばかりではなくて、ぼくの畑の演劇とかでも、自分を棚に上げて言いますが、面白いけど、音楽のかけ方とか、ストーリー展開とか、ああそういうのあるよねっていうのが結構ある。定石をちゃんとふまえているというか。下手をすると、どれほど自分が定石をわかっているのか、ちゃんと職業人としてやれるのかの報告書みたいに、作品がなってしまう場合もあるような気がします。テレビニュースとかの街角インタビューとかでも、街行く人が「正解」を答える。インタビュアー側が言ってほしい答えを察知して、インタビューされる側が答えたりしている。そんな気がします。そして、そういう「落とし所を探す」という日本人の気質みたいなものが創作の現場に入ってくるのはろくでもないことだと思うんです。正解なんて家にいてもわかるんだから、せっかく劇場や映画館に足を運ぶからには、とんでもない間違いを見せなきゃいけない気がするんです」

大森「ぶっ飛んでいるだけじゃなくて、なおかつ見せ物にしていかなきゃいけない。映画は残るから。そのへんが一番大変なところですよね。できたらいいですけどね、新しい音楽のいれ方とかね。やりたいけどね、というか、けっこうオレは色々やってるんだけどさ、失敗するじゃん(笑)。みたいなところはあるよね」

松枝「新しいことって難しいですけれども、ほとんどのことがやりつくされている中でね」

大森「失敗すればいいんですよ」

松枝「本当にそうですね。荒戸(源次郎)さんがよく俳優たちに、失敗しろって言っています」

大森「失敗しないと得られるものも得られない」

松枝「なのに、みんな失敗するのを怖がるんですよね(笑)」