崔洋一監督インタビュー


2016年10月20日から23日までの4日間で開催されるワークショップの講師である崔洋一監督にインタビューをしてきました。聞き手はアクターズ・ヴィジョン代表の松枝佳紀です。

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松枝 「血と骨」の人間の営みと痛み、そのリアルさと言ったら類をみません。大変素晴らしい映画です。そしてやっぱり、主役の金俊平を演じた北野武さんは凄い。タケシさんと言えば、映画監督としても名をはせてはいますが、しかしお笑いの人という印象も小さくないと思うんです。笑いとは真逆な役にタケシさんをキャスティングしたのはなぜなんでしょうか?

 これは一般的なことだと思うんですが、コメディ映画だからお笑いの人をキャスティングすればうまくいく、というようなことはないんです。もちろん、シリアスなドラマだからって、お笑いの人が演じてはいけないということでもない。大事なのは人間です。どういう人間であるかということです。「血と骨」についていえば映画化したいと思った瞬間から、主演の金俊平役はタケシさんと決めていました。あれは、官能の帝国を自ら作りあげ、そしてその帝国を自ら壊していく男の話です。その帝国は小さな帝国なんですが、その臣民、すなわち国民は、家族なんですね。家族と、その周縁の人々なんですね。その人たちを、暴力や性や金銭を巧みに使って支配していく。そこで描かれるのはアジアの父権の聖なる部分と俗なる部分で、僕はその両面を表現したいと思ったんです。その時に、僕はそれを表現できるのはタケシさんしかいないと思ったんです。

松枝 それはタケシさんの人間が…ということなんでしょうか?

 タケシさんが身にまとっている物がありますね。彼自身が言ってますが、足立のペンキ職人の倅(せがれ)で、家は貧しくて、近所はごんたくればかりで…という、戦後の日本にあった、生存権のむき出しの主張というようなことを経験してきている。たしかに、大阪の猪飼野の大成通りの朝鮮人長屋で起きていることと足立のペンキ職人の家やその周辺の長屋で起きていることは当然違いますよ。違いますけど、共有できるところがある。それは何かっていうと、貧しさなんだよね、時代の貧しさ。そういう中で生き残りたい、その一心でぶん殴られながらも生き抜いてきたタケシさんにしか身にまとえないものがあるわけだよね。

松枝 出演の依頼を受けたときのタケシさんの反応はどうだったんでしょうか?

 ちょうど「御法度」(大島渚監督)をやってるときだったんだけど、現場で「次これやりたいと思っているんだけど、タケシさんに出てもらいたいから原作読んでよ」と言ったら、タケシさんは「俺、あんまり原作は読まないんだよね」て言って「でも、俺、このおやじのこと知ってるよ。大阪の古い友達から聞いたことがある。鶴橋に怪物みたいな親父がいるっての」って言うんだよね。それで「こういう親父、俺がガキのころ足立にも居たよ」とか言うんです。

松枝 なるほど

 そういう意味では、タケシさんは、金俊平のいたあの頃の時代の空気を肌身で知っている。多くを語らないで、金俊平を取り込めるというか、自分の持っている知的な空間に組み込める人物であると判断してくれたことが、タケシさんが出てくれたことの一つの重要なファクターだったんだろうと思ってます。

松枝 崔さんご自身も、「御法度」に近藤勇役で俳優として出演されています。カメラのこっち側にいる時と向こう側にいる時と、見える風景はどう違うでしょうか?

 俳優と言うのは、演出意図に沿いながら演ずるわけだけれども、時に自分の思うことと監督の求めていることにギャップを感じるんですね。そしてそのギャップを埋めようとする。俳優としての僕もそうでしたから。でも、監督というのは不思議な職業で、演出意図に沿おう沿おうとする芝居のことをあまり好きではないんですね(笑)僕が大島(渚)さんに言われたのは「崔くん、小芝居をやめて。自分をうまく見せようなんて思わないでいいよ」ってことなんですね。「キミはどっか野放図なところが近藤勇なんだから、だからうまい芝居をしようとしないで」と注意を受けました。こっちはそれどころじゃなかったんですけどね(笑)、まあ、でも、それもむべなるかなで、非常に理解しやすい世界なんですね。だから、必ずしも下手でいいというわけではないけれども、うまくてもいいわけではないという、そこが、俳優の難しいところだし、面白いところだと思うんです。

松枝 そのようなご自身の俳優経験も踏まえて、俳優にとって最も必要なことって何だとお考えになりますか?

 俳優にとって最も必要なのは感性感受性だと思います。まず、俳優は、シナリオを読んで、自分が俳優として、登場人物として何を表現しないといけないかを知るわけです。この映画が何を描きたいかを知る。この時に、感性感受性がないと、一体このシナリオは何を表現したいのか、映画を作ろうとしている人たちがこの登場人物の何を面白いと思っているのかを理解することができないんです。

松枝 それは読解力を付けようということなんでしょうか?

 単純に読解力というのとも違うんですね。たとえばですが、その昔、日本の俳優はみんながみんな字を読めたわけではない。そういう時にどうしたかというと、「これはどういう意味?」というように周囲の人に聞いて回って、一生懸命理解しようとしたわけです。で、聞いて回るうちに、ああ、この映画ではそういうことがやりたいんだな、と理解する。文字を理解する力というよりも、そういう感性感受性がある人だけが生き延びてきた。

松枝 なるほど

 戦後すぐの日本の映画界でよく言われていたことなんですが、男は、兵隊と百姓の役をやらせれば抜群。女は、女給と遊女をやらせれば黙ってでもできる。そう言われていたんですが、それっていうのは、戦後日本人がそういう貧しい世界で生きて来たから見てきて体験してきた世界だからそういった役に対する感性感受性は磨かれていたという話なんです。ところが、全く経験のしたことないこと、見たこともないような世界に生きる役だと、理解することが難しく、なかなか演じることができない。でも、そういう役も演じなくてはならないのが俳優です。自分の世界とは違うものを理解する感性感受性がやはり大事なんです。

松枝 たしかに、自分の思想信条と同じ役ばかりを演じるわけではありませんからね。時に、普段の自分が嫌悪しているようなことを考えたり行為したりする人物を演じることもあるわけですから、あらゆる人物を理解する力と言いますか、それこそ感性感受性を持っていないとって話ですよね?

 まさにおっしゃる通りで、いろんなことに関心を持っていないといけない。とくに、昨今は、自分以外の価値観を受け入れない時代になってきています。相手の気持ちを知りもしないで、あれはだめ、これはだめと他人のことは言うわけです。普通に生きる分にはそれでもいいかもしれない。いや、本当は良くないんだけど、百歩譲って良いとしましょう。でも、そういう時でも、こと俳優に限っては、それは良くない。犯罪者を捕まえる刑事の気持ちもわからねばならないし、一方、犯罪を犯す犯人の気持ちもわからないといけない。戦争反対を言う人たちの気持ちもわからねばならないし、戦争賛成を言う人たちの気持ちもわからねばならない。共感し理解する感性感受性が必要なんですね。それがないと、この犯人がこういうことする意味がわからないで終わってしまう。他人の考えや経験に興味を持つこと、共感していくこと、こっちとあっちを行ったり来たりできるような精神を持つことが俳優としてとても大事なことだと思います。

松枝 本当にそのように思います。俳優は人間をまるっと理解する、その業と罪を受け入れることのできるスポンジのようでないといけないですね。しかし、その感性感受性は磨くことのできるものなのでしょうか?それとも生まれながらのものなのでしょうか?

 10万人に1人ぐらいの確率で、生まれながらに持ち合わせている人もいるでしょうが、でも、やはり、日々の生き方で変わるのだと思います。そういう意味では、感性感受性は磨くことができる。常にアンテナを張って、常識のこっち側にも向こう側に思いをはせる。否定する前に、どうしてそうなんだろうと考えてみる。受け入れてみる。社交的になれということではないんですが、多くの異なる人間と交わることから、感性感受性が鍛えられるというのはあるでしょうね。そういう意味で言うと、今回のワークショップみたいなところで、たくさんの俳優たちに出会うこと、監督、スタッフに出会うこともまた自分を拡張することの訓練になるのだと思います。

松枝 俳優にとって日々の生き方が大事であるというのは、普段から思うことです。芝居をしていない時間のほうが長く、その時に何を考えどう行動しているかが、すべて芝居の稽古になっていると考えるからです。

 おっしゃる通りですね。俳優にとっては生きることがすべて俳優修業だと言うことができるんですね。それから、もう一つ重要なのは、難しいことなんですが、評価されるものをちゃんと選択していくということです。それは作品かもしれないし、役かもしれないし、どこのワークショップに参加するかということかもしれないですが、評価されるものをちゃんと選んでいくのが重要です。

松枝 それは、セルフプロデュースをしろということなんでしょうか?

 セルフプロデュースができるならばそれをしてもいいし、あるいは、そういう能力のある者と組むというのでもいい。というか、そっちのほうが良いかな。外部の意見を聞くというのは重要ですから。あなたはこういうのをやったほうが良いというのを的確に選んでくれる人と組むっていうことですね。

松枝 それはマネージャーということですか?

 それもあるかもしれないし、演出家やプロデューサーかもしれない。

松枝 たしかに人は自分に合う服をなかなか自分で選べないと言いますものね。自分は嫌いでも自分に合っている物というのはあって、他人のほうがそれを言い当ててくれたりする。

 そうです。

松枝 ところで、前回、ワークショップの講師をお願いしに上がったときに、とある原作をもとに次回作を構想されているというようなお話を聞きました。たとえばですが、その作品に、今回のワークショップ参加者が出演するというようなことは可能性としてはあるのでしょうか?

 ありえない…ということはないです。ありえます。ただ、これまで、僕も少しだけですがワークショップというようなものを受け持ったことがあるのですが、発見のある芝居をする者もいれば、どこかで見たことのあるような既視感のある芝居しかしない者も居て、やはり、出会いたいのは、こちらに発見をさせてくれるような、新鮮な演技をする方で、そしてそういう方が、作品にハマるならぜひ使いたいと考えています。芝居がうまい下手なんて関係ない。大事なのは、好き勝手にやるってことです。それをどう面白がれるかは僕の問題です。可能性を引き出したいと思える人に会いたいと思っています。時に厳しく、時に優しく。ともに泣き笑い喜べる、今度のワークショップがそういう場になることを願っています。

(2016年9月29日、渋谷某所、崔洋一監督事務所にて)

ワークショップ詳細については次のリンクをクリックしてください。
 http://alotf.com/ws/vision5