瑠東東一郎監督インタビュー2018


2018年1月25日(木)から28日(日)までの4日間で行われる「瑠東東一郎監督による俳優のための実践的ワークショップ」に向けて、講師である瑠東東一郎(るとう・とういちろう)監督に緊急インタビューをしてきました。剛力彩芽さん主演「女囚セブン」、三浦春馬さん主演「オトナ高校」、千原ジュニアさん主演「新・ミナミの帝王」など主としてテレビドラマの演出をされている瑠東さんがどのような俳優、どのような演技を求めているのかがよくわかります。ご一読ください。聞き手は、アクターズ・ヴィジョン代表・松枝佳紀(まつがえ・よしのり)です。
 
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マツガエ:昨年、2月にやってもらったワークショップから、結構な数の俳優たちを「女囚セブン」にキャスティングしていただきました。もはや誰が出ていたのか全貌がつかめていないんですが(笑)。
 
ルトウ:すみません。報告が漏れていたかもしれないんですが、「女囚セブン」のあとにやった「オトナ高校」や「新・ミナミの帝王」にも何人か出てもらっているんです。
 
マツガエ:そうなんですね。それは大変うれしいです。こちらも、次から次へとワークショップやっているので、確認する余裕がなくて、ルトウさんの番組に限らず、たまたま放映を見ていて、「あ、この子、出演できたんだ」って気づく場合がほとんどです(笑)。
 
ルトウ:いや、ほんと、すみません。
 
マツガエ:いやいや、キャスティングしていただけるだけでもありがたいですし、しかも、俳優の性格というか本質を良くつかんだハマり役でキャスティングしていただけてるのが本当にうれしいです。
 
ルトウ:本人にあった役のほうが本人も輝くし、それが作品にとって一番良いので。
 
マツガエ:でも去年やったワークショップはたったの2日だったじゃないですか、その短い時間で80人を見ていただいたんですけど、よくぞ、みんなの人間性を見抜けたなあと感心します。放映を見て思ったことなんですけど、キャスティングしていただいた俳優たちが全員どハマり役で笑いましたもん。
 
ルトウ:いや、正直大変でした。2日間しかなかったんで。
 
マツガエ:今回のワークショップはトータル4日間なんで、お会いしていただく人数は去年より多いかもしれないですけど、ひとクラスの人数は去年より少なくしています。
 
ルトウ:それはありがたいです。じっくり見れるので。
 
マツガエ:今回も、ルトウさんが4月クールのドラマの総合演出をされるということで、できれば参加者の中から、良い子がいればですけど、使っていただきたいなと思っています。
 
ルトウ:承知いたしました。
 
マツガエ:ワークショップ、前回は、2日ともテキストを使いました。ルトウさんが監督されたドラマからワンシーンを抜き出してやりましたね。
 
ルトウ:はい。
 
マツガエ:今回はどうしましょうか。目的は、的確なキャスティングをしていただくということなので、俳優の本性を見抜くうえで一番良い方法を採っていただきたいと考えています。
 
ルトウ:一番良いのは……呑みに行ったりすることなんですけど…そうもいかないし(笑)
 
マツガエ:いやいや、大丈夫ですよ。そのほうが俳優のことを判っていただけるなら、テキストもなにもやらずに、毎日昼間っから飲み会をしてもぜんぜん構わない(笑)いや、ほんとです。
 
ルトウ:でも、テキスト使って芝居をしたほうが、参加した俳優もやった気になったりするんじゃないですか?
 
マツガエ:やった「気」になっても仕方ないんです。ちゃんとルトウさんなりの方法で見ていただくこと、見抜いていただくことが大事なので。
 
ルトウ:なるほど。あの、誤解のないように言っておくと「呑みに行ったりするほうがいい」とか半分冗談で半分本気で言っているんですけど、それは付き合いがいい奴を使いたいとか、おべっかのうまい奴を使いたいとかそういうことじゃないんです。呑みという場で、どういうふうに振舞うのか、他人と話しているのか、油断しているところが見たいということなんですよね。油断しているときにこそ、その人の本性が出るので。「ワークショップ」、「やります」ってやると、みんな作ってきちゃうじゃないですか。それは別に見たくないんで。よくあることなんですけど、俳優に、芝居をやってもらうと「ぽい」芝居になることって多いじゃないですか。
 
マツガエ:「ぽい」芝居?
 
ルトウ:たとえば、役で、その役がプレゼントかなんかもらって喜んでいるとして、そのプレゼントあけて喜ぶ芝居をお願いしたとすると、俳優は喜んでるっ「ぽい」芝居をしちゃうっていうか。たとえば、上司か誰かに怒られて反省している芝居をお願いするとすると、反省してるっ「ぽい」芝居をしちゃうっていうか。
 
マツガエ:ああ、「ぽい」芝居って、なになにっ「ぽく」見せる芝居のことですね。見せる演技と言いますか。
 
ルトウ:そうです。でも僕が見たいのは、そういう「ぽい」芝居じゃなくって、もっと、なんて言うんですか、「生っぽいもの」なんです。でも、こちらが俳優をうまく誘導できないっていうのもあるんですけど、作られた芝居を皆しちゃうんですよね。でも、そんなもの見せられても、面白いと思えない。わかんないですけど、だからワークショップでは、できるだけその人が「素」が出るようなことを出来ればいいな、と思ってるんです。
 
マツガエ:殺人者って本当は十人十色なんですよね。こうであるっていう決まり切った人物像があるわけない。なのに殺人者「役」となると、どっかの紋切り型の映画やドラマで見るような、一般名称としての「殺人者」、リアリティのあるはずもない、抽象名詞としての「殺人者」を演じてしまう。そういうことではなくて、殺人者と言ったって、臆病な奴もいれば、強気のやつもいて、笑いながら殺す奴もいれば、泣きながらやる奴もいて、つまり、そいつがどうなのかは、演ずる俳優によって各人各様になる。それを見せて欲しい。ってことですよね?
 
ルトウ:そうです。そうなんです。たとえば、自分の親が殺されて、だから犯人を殺さなあかんくなったときの心情って、僕は僕の、みんなはみんなの、それぞれ違うものがあるはずなんですよね。でもなんかみんな同じようなことをやる。そんなんじゃ面白いもの出来ないんです。
 
マツガエ:だから役を演じる前に、その人がどんな人なのかを知ったうえで、その役としてそこにいたらどうなのかを考えたいってことですよね?
 
ルトウ:そうです。セリフや配役を与える前の「素」の本人が見たいんです。
 
マツガエ:じゃ、そうしましょうよ。配役とかテキストとか渡すと、みんな役を作ってくるから、そういうのやめて本人がみえるようなことをやりましょうよ。
 
ルトウ:でも、どうしたらいいんでしょうねえ。
 
マツガエ:うちで、マイズナーテクニックというのをボビー中西さんという方に教えていただいているんですけど、それって、まさに芝居を演技しなくなるようにする方法というか、ルトウさん的に言うと「生っぽいもの」に変える方法なんですけど、その基本的な練習方法が、レぺテションという方法なんですね。それだけをやるレぺテションクラスというのを、マイズナー・クラスの経験者向けにやっているんですけど、それを谷内田彰久監督が見学しに来たことがあって、その時に、谷内田さんが興奮して言っていたんです。「レぺテションはオーディションの時に俳優たちみんなにやらせるといいんじゃないか。なぜならレペテションしていると、その人そのものが見えるから」って。
 
ルトウ:なるほど。
 
マツガエ:ただ実際問題を考えると、レペテションって、それなりのルールがあって、やり方を教わらないとできないし、ある程度やった人じゃないと、やっぱりレペテションで本領発揮できないんですよね。訓練しないとできないんです。だから、レペテションを習ったこともない人が参加するオーディションやワークショップでは、レペテションをやるのは難しい。だから、レペテションがなぜ俳優本人の「素」を見るのに役立つのかを考えて、それをヒントにして代わりの何か編み出すしかないと思うんです。
 
ルトウ:はい。
 
マツガエ:レペテションでどうして本人の「素」が見えたというかと言うと、僕が思うに、まず単純にセリフや役柄が決まってないから、その人が出ちゃうということがあると思うんですよね。どうしても、シナリオがあると、シナリオ読解したりして、正解を演じたくなる。「ぽい」芝居をしたくなっちゃう。レペテションは、その可能性を全く排除する方法なんですよね。それから、レペテションで本人の「素」が見えたもうひとつの理由は、レペテションって、多くの日本人が持っている厚い面の皮を薄くする訓練なんですよね、日本人にとっては。自分がどう思っているかがすぐに顔や態度などの表に出てくるようにするための訓練方法なんです。なぜそうやって面の皮を薄くするかというと、俳優同士で反応し合うためです。相手の感情に対してこちらの感情をパーンと返せるようにするためなんです。それができるようになると感情というか行動が連鎖するんです。その連鎖については一旦つながってしまうと俳優にはコントロール不可能なものになるので、どんどん俳優は企めなくなってきて、ある意味あきらめて仮面をつけることが無くなり「素」が出てくるわけです。ということで、レペテションは俳優の皮を薄くすることによって、俳優同士を本音ベースでつなげて、頭脳によるコントロールを難しくして、俳優を思わず「素」にする方法なんですね。だからレペテションの訓練を受けたことのある人のレペテションを見ると、俳優本人の「素」が見えてくるわけです。でも、日本人は自分の「素」を隠すじゃないですか、そういった自分を許容するまんまでレペテションをしても、何にも見えないんですよ。
 
ルトウ:なるほど。
 
マツガエ:オーディションやワークショップで、レペテションそのものをやるわけにはいかないけど、俳優本人の「素」を知るために何をすればいいかと言うのにレペテションにヒントはあって。それはふたつあるんですが…
 
ルトウ:はい。
 
マツガエ:それはさっき言ったことの繰り返しになっちゃうんだけど、ひとつは、俳優にセリフや役を与えないことによって、俳優本人がむき出しになりやすくなるってことですよね。
 
ルトウ:それって、たとえばエチュードをすると良いってことですよね。
 
マツガエ:そうです。でも、ただエチュードをすればいいってわけじゃなくて、それこそがレペテションを考えたときに得られるもうひとつのヒントなんですが、それは、そのエチュードを、俳優本人たちの「素」が出やすいもの、「仮面」を付けづらいものに「仕組まないとダメ」だってことなんです。
 
ルトウ:なるほどなるほど。
 
マツガエ:それをワークショップ本番までに考えようってことなんですが…。
 
ルトウ:前から思ってたことなんですけど、芝居でアクションするってそんなに難しくないじゃないですか。むしろ大事なのはリアクションなんです。リアクションによって、ダメな芝居にもなるし、素晴らしいものにもなる。ダメなリアクションていうのは、リアクションじゃなくて、アクションになってる。自分発信になっちゃってるんです。Aの話を聞いてBが「なるほど分かった」となるのが、ふつうのリアクションなら、Aの話の内容や言い方にかかわらずにBが(普通に)「わかった」となる以上に、大きく、意図的に、「わかった!!」「わたしわかったんですよ~!!!」とカメラや観客に向けて強く表現してしまうのが「アクションになってしまったリアクション」なんです。それが「嘘くさい芝居のもと」なんです。
 
マツガエ:わかります。
 
ルトウ:だから、僕は撮るときには、だいたいの狙いは決めて最低限のプランはしていくんですけど、ほとんどカット割りはしないで、できるだけカメラも複数用意して、どこを使うかも俳優にはほぼつたえないでダダ回しで撮るんです。過剰な演技をやっちゃう俳優は、このカットの時に、自分が撮られているとか意識しちゃうと、カメラに向けて「演技」しちゃうじゃないですか、だから、どこの芝居を使われているか分からないように、ダダ回しにするんです。それで事前ブランがあっても編集で全部変えちゃう。生っぽくできているところをいれたりして、ストーリーまで組み立てなおしてしまうんです。
 
マツガエ:僕は「テラスハウス」って好きなんですけど、あれ特に名優でもないのにリアクションが本物だから引き込まれてしまう。なぜそういうリアクションが取れるかって言うと、隠しカメラで撮ってるからだと思うんですよね。カメラを意識しないで人間同士がやり取りしている。俳優同士じゃなくて人間同士。
 
ルトウ:まさにそうなんです。僕も、被写体とカメラの距離ってすごい大事だとおもっていて。逆にカメラを意識してやる人とかそういう芝居もあるとは思うんですけど、あえてカメラを感じないようにしてあげたい。たとえば、同じサイズで撮ってもレンズ変えて望遠を使って、あえてすごく遠くから撮ったりとかします。
 
マツガエ:なるほど、そういう風に撮ると、撮られている人の「撮られている」ていう意識が減りますね。
 
ルトウ:逆に、ここは「決め」で撮りたいとなったら、レンズをワイドにして撮ったりします。いずれにせよ、僕の欲しいのは「生っぽい芝居」なんです。そういう話も時間があれば俳優たちにはしたい。
 
マツガエ:今までオーディションとかで、これやると俳優の本性がよく分かったというようなルトウさんなりのオーディション方法の定番とかありませんか?
 
ルトウ:僕的には即興性のあるもののほうが俳優の「素」はわかる気がします。
 
マツガエ:エチュードってことですよね。
 
ルトウ:でも単にエチュードっていうだけでもダメなんですよね?
 
マツガエ:そうですね。エチュードであればいいってわけじゃないと思うんです。複雑な設定はいけないなと思います。その設定を実行しようとしちゃうんで「素」が出にくくなる。設定にあわそうとして、説明的な芝居を持ち込みたくなってしまう。
 
ルトウ:なるほど
 
マツガエ:たとえば、よくあるエチュードに、「エレベーターに閉じ込められた時の反応をしてください」みたいなのがありますが、そういう設定を与えられると、多くの人が、ぎゃーぎゃー大騒ぎをする。「誰かーいますかー、助けてくださいー」とか、「あたし閉所恐怖症なんですー」って泣き出すとか、いやそれが本当の場合もあるとは思うんですよ。でも、ワークショップでやると、そんなのばっかりで、パニック勝負みたいになって、俳優個人個人の「素」を見るどころじゃなくなる。誰から聞いたか忘れたんですけど、実際にエレベーターに閉じ込められた俳優が言ってたんですけど、その閉じ込められたときに、え、となって、まじか、となって、閉じ込められた人同士で目を合わせたら、その状況が面白くなっちゃって笑いだしちゃったと言うんですね、実際に。で、その俳優が、どっかワークショップかなんかで、エレベーターに閉じ込められるエチュードをやる機会があって、その笑い出しちゃうやつを再現したら、講師に「人間はそういうところで笑わない」とダメ出しを喰らったそうなんです笑。facebookかなんかの書き込みだったかな。でも、そういうこともあると思うんです。笑っちゃうことって。人それぞれな気がするんです。でも「エレベーターに閉じ込められるエチュード」っていうのは、そこでやることにそんなにバリエーションがあるように思えない、むしろ、ありきたりなものを俳優にやらせてしまう気がする。(注:奥田庸介WSでエレベーターに閉じ込められるエチュードをやったことがありますが、あれはそのエチュードのていを借りて、俳優たちの本気度を勝負形式で試すものでしたので、上で言ったような問題の指定は当たらないと考えます。一応老婆心ながら言及します)
 
ルトウ:なるほど。
 
マツガエ:なので、俳優の「素」を見たいなら「エレベーターに閉じ込められた」という特殊なことをするよりも、シンプルに、愛を告白するエチュードとかのほうがいいんじゃないかなと思う。
 
ルトウ:なるほどね。告白とかいいかもしれませんね。
 
マツガエ:ああでも、これも問題だなあ。いや、今のところ、もうどのクラスも定員に近いんですが、女子の割合が多いし、年齢も高い方から若い人まで結構幅広いので、愛の告白は難しいかも…。いや、でも男女の愛にこだわらなければいいのかな。
 
ルトウ:1度深夜で同性愛の物語をやらせてもらって。それが凄く面白かったんです。だから女性同士っていうのもいいかなと思って。
 
マツガエ:いいじゃないですか。いいと思いますよ。あと愛の告白だけじゃなくて、友情とかあとは親子愛とかそういうのでもいいし、なにか考えることが出来そうですね。その目の前の相手に対してどうでるかで、だいぶみんなの「素」が見れると思います。
 
ルトウ:いいですね。
 
マツガエ:ああ、でも、場合によっては告白するっていうのも嘘が生まれちゃうかもしれない。本当に相手が好きなタイプだったら真剣に告白できるでしょうけど、別に好きじゃないとか好かれなくていいと思っているタイプの相手に告白するっていうのは、エチュードだからって本当になるとは限りませんよね。告白したくない場合もあるから、でもワークショップとしては告白しなきゃっていうのが、こう命令になってしまって、結果として、俳優が「素」を出すというよりも、なんかやっちゃうことを促進することにもなりかねない。
 
ルトウ:難しいですね。
 
マツガエ:考えます。
 
ルトウ:じゃ、それぞれ持ち帰って考えて、思いついたら相談しましょう。
 
マツガエ:そうしましょう。と、言っておきながらなんなんですが、やっぱり、ルトウさんの現場では台本を扱うわけだから、テキストもやったほうがいい気がしてきました。どっちやねんて感じなんですが。
 
ルトウ:なるほど。たしかに、エチュードでおもろい俳優がセリフやらせるとあかんと言う場合はありますよね。逆もあるけど。
 
マツガエ:そうですね。じゃあ、ワークショップ的には、一日目にテキストかエチュードかどっちかやって、もう一日でやらなかったほうをやるというのはどうですかね。
 
ルトウ:そうしましょう。実際に何をやるかについてはそれぞれ持ち帰りってことで。
 
(2018年1月10日、新宿三丁目にて)

ワークショップの詳細は次のリンクをご覧ください。

瑠東東一郎監督による俳優のための実践的ワークショップ