NEWS
11/11/01
 「演目内容」に各参加団体の演目タイトル・出演者情報を公開しました。
11/10/16
 学生版日本の問題「ワークショップ/オーディション」 終了いたしました。ご参加くださったみなさま、ありがとうございました!
11/10/06
 参加団体の思出横丁の本公演が本日10月6日(木)~9日(日)まで、桜美林大学・徳望館小劇場にて行われます。
11/09/14
 10月14日(金)~16日(日)、学生版日本の問題「ワークショップ/オーディション」 を開催いたします。参加者応募中!
11/09/14
 「Program」に各参加団体の演目内容を公開しました。
11/09/10
 「Introduction」に学生版主催者の序文を公開しました。
11/09/10
 「Schedule」を更新しました。
なぜ「日本の」と問題を括ってしまうのか疑問に思った。どうやら僕は国単位での価値判断の付け方が好きじゃないらしい。歴史が証明してきたように、愛国心には全体主義へと派生する危険性があるからとの考えもあるのだが(全体主義は何より忌み嫌うべきものだ)、それ以上に「国」という単位が僕自身にとって大きすぎるからというのが正直なところだろう。 東京生まれ東京育ちの僕は、日本全体に対して全くと言っていいほど身近さを感じることがない。僕が親近感を持てるのは、住み慣れた東京というごく狭い一区画にしかすぎないのである。祖父母や親戚が地方にいるだけでも、日本の捉え方は異なるだろう。海外に数ヶ月住んでみるだけでも、日本の見え方は変わってくるだろう。しかし今の僕の視野で日本全体を意識してみても、至極曖昧なぼんやりとした像が見えてくるばかり。日本に生きてはいるものの、悲しきかな日本の姿は見えぬ。「日本の問題」もまた遠い存在だ。では、どうだろう。一つ問題をマクロに見てみたら、とある疑問が提示されてくる。はて、僕たちは地球に生きてはいるものの、本当に地球の姿が見えているのか?「地球の問題」に実感は湧いているのか? 
要は物事を思考するにおいて、境界線をどこで区切るかなのだ。狭めすぎれば視野は窮屈になるし、広げすぎれば全ての要素を介入させる必要性が生じてくる。最もミニマムなものは「私の問題」であろう。今ここに生きている私個人の問題が、一番直接的でリアリティを感じさせる。少し広げれば「家庭の問題」や「職場、学校の問題」が出てくるし、「東京の問題」だって挙げられる。さらに「日本の問題」を超えて広げれてみれば「アジアの問題」であったり「地球の問題」が存在する。問題が大きくなればなるほど、白黒付け難い矛盾した問題をも孕み、僕たちの識見の範疇を飛び越える。 だからこそ今回この「日本の問題」という、僕にとっては非常に大きな区切りでの題材に、あえて立ち向かってみようと思った。日本の姿が曖昧であるのなら、明確にしてやらねばならない。いつまでも問題を誤魔化していてはいけないのだ。視野を広げなければ。小劇場版8劇団、学生版6劇団の計14劇団が集い、各々日本の問題について突き詰めた作品が上演されるとなれば、「日本の問題」の体系がある程度明らかになるはずと、僕は希望を持っている。その後いかに行動するかは、一人一人が思考すべき問題である。 (「学生版日本の問題」主催 酒井一途(ミームの心臓))
参加団体・班分け・演目(A班、B班がございます。公演スケジュールが異なりますのでご注意ください。)